養育院事業と歴史
@ 養育院は、明治5年に創立されて以来129年に及ぶ事業の歴史を持ち、日本の社会福祉事業の中で、先駆的・先導的役割を担ってきています。その沿革は、日露戦争に先立つ時期にロシア皇太子が訪日するにあたり、明治政府は「臭いものに蓋」をするような対応で、巷の生活困窮者などを狩込み、ロシア人等の欧米人の眼に触れないよう本郷の元加賀藩邸跡(現東大構内)の空き長屋に収容したものが嚆矢となっています。

A その後、医療業務を開始するとともに、院内授産事業、行路病人、保護者のいない児童・障害者・類焼者の保護を行うに至りました。この間、明治7年から昭和初期まで日本の救貧制度の根幹となった「恤救規則」が公布され、養育院はこれに基づく保護を実施してきました。

B 養育院は、先述のように本郷を皮切りに、その後転々と居所を移転させましたが、明治29年には大塚に移転し、看護婦・保母の養成、視覚障害や言語障害を持つ児童の教育、虚弱児のための保養所、非行少年のための感化部、ハンセン病患者の隔離治療室、児童施設、職業紹介所、肺結核患者・痼疾患者の隔離治療等、事業を次々と拡大してきました。第二次大戦中も、知的障害者のための施設を現在の千葉福祉園の地に開設しました。そして、養育院は、関東大震災を契機に現在の板橋キャンパスに移転しましたが、終戦まぎわの昭和19年には一部が栃木県塩原に疎開せざるを得ない事情も生じ、また昭和20年4月の空襲では、9割が焼失し、利用者107名の犠牲者を出しました。

C 戦後は、昭和23年児童福祉法の施行に伴い、精神薄弱児施設を除く児童施設は民生局(現福祉局)に移管され、養育院事業は、高齢者と知的障害児・者を所管とする事業所となり、とりわけ1967年以来3期12年続いた革新都政の時代には一躍脚光を浴び、福祉、医療、研究の総合的な施設群として、世界的にも注目される事業を推進してきました。
しかし、近年の福祉切り捨ての時代となり、リストラ=行政改革の嵐の中で、1997年7月に養育院・福祉局・衛生局の高齢施策部門の統合が進められ、「高齢者施策推進室」に組織名称を変更するようになり、知的障害児者施設である千葉福祉ホームは福祉局に移管され、名称も千葉福祉園となりました。

D 1999年4月の石原都政の発足により、2000年12月に発表された「都政改革ビジョン」=都政リストラ計画が進められ、本年2001年4月に高齢者施策推進室と福祉局が統合され、現在の「福祉局」となりましたが、歴史的な「養育院」の組織と使命を継承する立場から、わが支部は、「養育院支部」を名乗り、新「福祉局」の本庁部門の一部と高齢者施設、千葉福祉園を引き続き組織しています。