● リレーインタビュー・人 ●

安心して医療を受けられるように、「後期高齢者医療制度」は、中止・撤回しかない!
清野幸三さん(八広6丁目在住)
 清野さんは、現在、「後期高齢者医療制度の中止・撤回」の請願署名の運動に全力をあげています。「友の会」では、すみだ共立診療所の玄関につくった「署名コーナー」や、駅頭でも署名を訴えています。
 「署名行動の中で感じるのは、この制度の中身が知られていないこと。区役所からの通知をもらってびっくりしたという怒りの声が寄せられます。75歳といえば、戦前・戦後の苦しい時代、敗戦から日本の復興のために生き抜いてきた世代だ。その人たちが安心して医療を受けられるようにしなければいけない。『後期高齢者』という名前を、『長寿医療』と変えるというが、『長寿』というなら長生きを喜べる制度にするのが本当だ。政府は高齢者をバカにしている」と清野さん。さらに「政府は年金問題の解決もできていない、まさに公約違反だ。それなのに、年金から天引きするのは絶対に許せない」と語気を強めます。
 「友の会」の会長を引き受けてから約8年になるという清野さん、「医療の改悪がすすむなか、『友の会』の活動を通して安心して生活できる、健康を守れる世の中にしたい」と語りました。

プロフィール
■1935年、台東区鳥越生まれ。
■墨田区で長く、金属プレス業を営む。現在、医療法人財団健愛会理事、すみだ共立健康友の会会長。

新タワーはそもそも必要か、電磁波公害を追う
新東京タワーを考える会共同代表
網代太郎さん(京島在住)
 網代さんが、新タワーの環境アセス、とりわけ電磁波による環境問題にかかわるようになったのは、お母さんが化学物質過敏症という難病に苦しんだことからでした。網代さんは「新タワーからの電波送信による電磁波の健康被害について、東武鉄道も、墨田区も、『国の電波防護指針を下回っているから影響はない』としていますが、電磁波と健康被害の因果関係は証明されていません。日本と比べ格段に厳しい基準値を定めているイタリアや中国などでは、新タワーは許可されない数値です」と熱っぽく語ります。
 網代さんは、「祖父母がかつて住み、母が生まれ育ち、自分自身が生まれた墨田区に住み続けたいと思っています。しかし、子どものことを考えたら、新タワーができたら果たしてこの墨田区に住み続けて大丈夫だろうかと心配です」「それでもあえて、東武が新タワーを建設するというのなら、周辺住民の健康調査はどうしても実施すべきだ」と語っています。

プロフィール
■1966年、墨田区生まれ。
■東北大学経済学部卒、毎日新聞記者、NPO法人化学物質過敏症支援センター事務局長を経てフリーライター兼法律事務所職員。

労働運動や地域のPTA活動も
東京靴工組合書記長
佐藤直哉さん(墨田3丁目在住)
 「靴産業の不況は深刻です。外国製品が増え、仕事が奪われています。原油価格の高騰も材料費が上がり、しわ寄せがきています」と語る佐藤さん。東京東部を中心に、家内労働者や通い職人さんなど約千人が加入する靴工組合の書記長として、産業振興や組合員の暮らしを守るために奮闘しています。
 佐藤さんは、2年前から東京地評の副議長に。いま、東京の運動で重視しているのは「生活保護の老齢加算廃止の取り消し」を求める生存権裁判。「6月に判決が出される予定ですが、憲法を守るたたかいでもあり、なんとしても勝利したい」と言葉に力がこもります。
 地域では梅若小学校のPTA副会長を務める佐藤さん、区教委がすすめる学校統廃合計画を、「学校選択制をやりながら統廃合するのは矛盾がありますね」とやんわりと批判。
 「組合員のほとんどが国保と国民年金。もっと充実させてほしい。労災保険の掛け金に墨田区から1割の助成を受けていますが、引き上げてもらえると助かります」−最後に区政への要望もいただきました。

プロフィール
■1960年、水戸市生まれ。
■大学卒業後、東京靴工組合の書記に。1995年より同書記長。2005年より東京地方労働組合評議会副議長を兼務。梅若小学校PTA副会長。
■18年前から墨田区に。現在は墨田3丁目に在住。家族は妻と、1女・2男。

高齢者や障害者を大事にする政治に
墨田区地域腎友会 会長
田口一郎さん(京島2丁目在住)
 「がっかりだね。区長や議員さんに、もっと透析患者の実態を知ってほしい」−田口さんたちが出した「タクシー券の増量」や「施設の無料使用」などを求める陳情は、11月議会で不採択になりました。「私たちは台風だろうと大雪だろうと透析を受けなくては生きていけない。どうしてもタクシーを使わざるを得ない」と力を込めます。
 田口さんは、牛島尋常小学校2年のとき、東京大空襲にあい、焼け跡でホームレスのような生活に。13歳から鋳物工場で働き、44歳でネフローゼ症候群を発病したのも、働きすぎと寒さが原因といいます。人工透析を始めたのは16年前、「こんなに長く生きられるとは思っていなかった」と語ります。
 墨田の腎友会が結成されたのは今年6月、会員は50人に増え、月に一度、懇談会などを開いています。「透析患者の予防のために、医療や食事相談、生活相談会などにも取り組んでいきたい」と田口さん、「もっと障害者や高齢者を大事にする政治になってほしい」という言葉が心に響きました。

プロフィール
■1937年、旧本所区向島中ノ郷生まれ。
■54歳の時から人工透析に。以来、透析患者等の暮らしを守る運動に取り組む。
■現在、墨田区地域腎友会会長。NPO法人東腎協正会員。

この地域から9条守る
平和の願いを発信させたい
佐藤ケイ子さん(墨田2丁目在住)
 憲法9条を守る「9条の会」の運動は、この10月に「すみだの会」が結成2周年を迎え、「立花9条の会」に続き、「鐘ヶ淵9条の会」「土建9条の会」など、地域ごとの取り組みがはじまっています。
 佐藤ケイ子さんが活動する「鐘ヶ淵9条の会」は、10月に墨田折鶴会の会長、山下久代さんを囲んで被爆体験を聞く会を開きました。この会では、地元に住む、青年劇場の俳優、小竹伊津子さんが、戦争体験や親族が広島で被爆死した経験を語り、核兵器廃絶の決意を固めあいました。「鐘ヶ淵の会」は、井上ひさしさんらの呼びかけに応えようと、仲間と共に約一年間の準備活動を経て、今年6月に旗揚げしました。
 佐藤さんは、すみだ共立診療所の勤務が30年近く、そのほとんどの期間が婦長として地域医療にたずさわりました。そして、東京で初めてとなった本格的な認知症患者のグループホーム「福さん家」でのお仕事を続けられています。医療やグループホームの活動を通じて、「しっかりした社会保障をつくりあげること平和を守ることは、つながっていると思います」と語る佐藤さん、その人間的な優しさが地域の多くの人々の支持を集めて「9条の会」をささえていることを実感しました。

(プロフィール)
1940年、長野県坂城町生まれ
すみだ共立診療所の婦長として約30年。
グループホーム「福さん家」(吾妻橋)勤務

立花9条の会で活動する
剣持 千賀子さん
 「すいとん食べくらべ、戦争体験を聞く会」や「戦跡ツアー」「映画の夕べ」など、立花地域では平和に向けた取り組みが活発に行われています。今回はそうした活動をすすめている立花9条の会の会員である剣持さんに話を伺いました。
 「立花9条の会に参加して、地域での思わぬ人との出会いや、平和への取り組みが広がっていくことがうれしい」。小学校の先生を長くされていた剣持さんは、会員さんが作った「立花九条」のバッジをつけて、やさしい笑顔で語ってくれました。
 剣持さんが教師だったとき、教職員組合では平和学習が盛んでした。組合で東京大空襲について学んで以来、子ども達に戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えたいと心がけてきました。2年前、半年間の準備期間を経て発足した立花9条の会に、発足当初から関わってきたのも平和への強い思いからでした。
 そんな立花9条の会は、会員数が100名を越え、地域での宣伝・署名や、年4回平和に向けてのさまざまなイベントなどを行っています。
 剣持さんは言います。「今後は、若い人ともっと交流をしていきたいです。若い人たちと一緒に平和企画などができたらうれしいですね」。
 改憲の動きが具体的になる一方、国民の中で「憲法を変えていいのか」という思いも強まっています。立花9条の会や剣持さんの一層の活躍が期待されます。

プロフィール
■1947年、千葉県千葉市生まれ。33年前立花に移り住み、現在は東墨田在住。
■30年間、江東区で小学校の教師を務める。立花9条の会会員。

原水爆禁止世界大会に初めて参加した
中野一仁さん(25歳)
 「原爆の絵本を買ってきました。子どもたちに伝えていきたいと思って」――やさしい笑顔で語る中野さん、今年8月に長崎で開かれた原水爆禁止世界大会に初めて参加しました。「あまり関心はなかったのですが、職場関係の先輩にすすめられて。いろいろな人たちと知り合うことができ刺激になりました。被爆者の話や嘉代子桜が印象に残りました。もっと知識を高めて、自分に何ができるのか考えたい」と、今後の活躍が期待されます。
 大学で社会福祉を専攻し、社会福祉主事の資格をとった中野さん、「人とふれあう仕事がしたい」と現在の職場へ。「仕事は楽しい。でも、介護職員の待遇を改善してほしい」と力を込めます。「将来の夢は」との問いに、「高校の教員免許をもっているので、福祉現場での経験も生かして、高校生に福祉について教えてみたい」と語ってくれました。

プロフィール
■1982年、葛飾区白鳥生まれ・在住。小、中、高も葛飾区。
■立正大学社会福祉部社会福祉学科卒。社会福祉主事。デイサービスセンター鐘ヶ淵で生活相談員、兼介護職。趣味は、サッカー。

全国一律最賃制の確立めざして半世紀
永島盛次さん(74才)
 最低賃金法の改正の国会審議も大詰めを迎えているなか、永島さんにインタビューしました。
 全国一律の最低賃金制確立をめざす運動は、1955年の第1回春闘共闘以来で、半世紀にわたります。この年は、原水禁大会も日本母親大会も初めて開催された年で、墨田合同労組が結成されたのもこの年でした。現在の地域別最低賃金法は1968年に改定されてもので多くの欠陥をもっています。永島さんは「墨田区の労働運動、下町の東部共同行動実行委員会など、一貫して国民生活の最低保障制度の大もととなる全国一律最賃制の確立を主張しつづけ、東京の労働運動や国民共同で、先進的役割に一端をになってきたのではないか」と語ります。
 労働運動のほか在来線を守る運動も20余年になり、この7月にもJR長崎本線を守る運動のルポで佐賀県に取材に出むきました。また、日本の公害第1号といわれる足尾銅山事件でたたかった映画田中正造の映画「赤貧洗うが如き」の自主上映活動、業者と一緒に取り組んできた「下町大行進」など話はつきません。
  最後に、永島さんのモットーをお伺いしました。「常に弱いものの立場にたって、抑圧する者とたたかうこと」と語ってくれました。

プロフィール
■1932年渋谷区原宿生まれ。母親の故郷・茨城県古河市に中学1年のとき疎開、現在に至る。
■1958年、個人加盟の墨田合同労組に加入。職場支部を結成。
■現在、全労連全国一般東京地本・一般合同労組執行委員長。このほか「在来線を守る全国連絡協議会」事務局長など多彩な分野で活躍。

業者の生活と権利を守る道、ひとすじに
山口公子さん(東駒形3丁目在住)
 山口さんは、6月区議会に、墨田民商の吉村正雄会長名で提出した「保険業法の制度と運用の見直しと自主的な共済の保険業法の適用除外を求める請願」の審査をご主人の忠士さんと一緒に傍聴しました。
 6月27日の地域都市委員会では、共産党の西議員が民商共済の役割を具体的に明らかにして請願の採択を主張しましたが、自民、公明、民主・新しい風などはこの請願を不採択にしてしまいました。
 山口さんは、「傍聴していて、ほんとに腹が立ちました。共産党以外の議員には、もっと勉強してほしいとつくづく思いました。民商共済は、阪神大震災の被災者の見舞金を出して、多くの人に喜ばれました。これからは、労山(勤労者山の会)の人たちと力を会わせて運動を盛り上げ、仲間同士が助け合う共済を適用除外にするためにがんばっていきます」と語っています。

プロフィール
◆1937年(昭和12年)墨田区立花生まれ、現在の東駒形3丁目でご主人の忠士さんと、40年にわたって皮革加工の仕事に従事。
◆新日本婦人の会「こまがた班」班長、墨田民商婦人部長。
◆趣味は、読書。赤川次郎の推理小説のファン。

核兵器廃絶、平和の思いを歌いたい
形岡七恵さん(堤通2丁目在住)
 美容と健康を兼ねて、白鬚団地裏の公園、1週2、3キロのジョギングを終えたばかりの形岡さんにインタビューしました。形岡さんが、核兵器廃絶の集会など平和関係の集会で歌うきっかけとなったのは、20才のころ、有事法制やイラク戦争の反戦運動に加わり、路上ライブをやったことでした。
 そして、昨年6月にはカナダのバンクーバーで行われた「世界フォーラム」に参加、8月の原水爆禁止世界大会などに出演し、来月、焼津での「3・1ビキニデー」でも歌います。「平和の歌を歌うことが私の生き方」と、プロのミュージシャンをめざす形岡さんは生き生きと語ってくれました。
 墨田区の印象を聞くと、「お寺が多いこと。知らない人とも挨拶を交わしたり、日本の良さが残っている地域だと思います」との返事が返ってきました。この2月に結婚を控えた形岡さん、「信念をもって誠実に生きていきたい。お互いに協力して明るい家庭を築いていきたい」と笑顔で語ってくれました。

プロフィール
○1982年、山口県周南市出身。
○横浜市内の音楽大学でジャズボーカルを専攻。
○現在、アルバイトをしながらプロのミュージシャンめざし、ライブ活動などで活躍中。

墨田の党地区委員長代理に選出されたあとう和之さん 35歳
 12月3日に開かれた日本共産党第24回大会・第2回墨田地区党会議で、新しく地区委員長代理に選出された、あとう和之さんに話を伺いました。

 私は、昨年の都議選以降、区民のみなさんの切実な願いにこたえるために、生活相談や街頭宣伝にとりくんできました。
 相次ぐ負担増による格差拡大によって、「もう生きる気力を失った」「死ねというのか」など、怒りの声が行く先々で聞かれます。最近では、税金の無駄づかい、都知事の海外出張、都政私物化への怒りも渦巻いています。こういう声に接するたびに、来年の2大選挙勝利とともに、「2年後の都議選は、絶対に勝たなければ」という思いを強くします。
 同時に、選挙に勝ち、切実な要求を実現していくためには、日本共産党そのものを強く、大きくしていくことが欠かせません。今回、私自身が候補者をやりながら、「地区委員長代理」を引き受けた一番の理由もここにあります。
 日本共産党には84年の歴史があり、墨田区も中選挙区時代に、不破哲三さんを長きにわたって国会に送り出した歴史と伝統のある党です。そして、当時から党を支えてきた中心メンバーは、私の親の世代でもあります。こういう党を担っていくことには、大きな重みを感じますが、多くのみなさんの知恵と力を借りながら、がんばっていきたいと思います。

プロフィール
■1971年、岡山県生まれ。東京大学卒。
■1996年、日本共産党東京都委員会に勤務。2005年、都議候補として奮闘。
■現在、党墨田地区委員長代理・くらしの相談室長

暮らし優先 開発見直し 憲法守る 3つの転換 共同広く
都知事予定候補になった吉田万三さん
 「革新都政をつくる会」から要請され、来春の東京都知事選に出馬表明した吉田万三氏に、赤旗まつりの会場でお話を伺いました。

 「石原都政は、公共サービスや福祉の切り捨てを進める一方で、『都市再生』という名の大型開発事業をすすめてきましたが、今度はオリンピックに名を借りてさらに大がかりな開発に巨額の血税をつぎ込もうとしています。また、石原知事は何千万円もつかってガラパゴス諸島をはじめ海外旅行を行い、都庁には週2日くらいしか来ていないと言われています。教育現場への強引な介入や数々の暴言など、本当の姿が都民に十分知らされていないことをいいことにやりたい放題です。この石原知事を、一刻も早く退陣させなければ、安心して暮らせる東京をつくることはできません」と語る吉田氏。
 「私は、暮らし優先の都民にあたたかい東京、大型開発を見直し、みどりと環境優先の東京、憲法や教育基本法を守る平和な東京、を大きな目標に都政の転換をめざします。そのためには、石原都政に心を痛めているたくさんの人たち、さまざまな団体、政党、無党派の方々と力を合わせることが必要です。私は目標が一致できるなら、可能な限り協力関係を追求するという立場で都政転換の共同に努力したいと考えています。東京から安心して暮らせる国づくりを始めましょう」――吉田氏の熱い呼びかけが心に響きました。

プロフィール
■1947年、東京都目黒区生まれ。北海道大学歯学部卒。
■大田病院歯科に就職後、八丈島に歯科開設のため赴任、足立区の蒲原歯科診療所を開設して所長に。
■96年9月、足立区長に当選。99年6月まで「区民が主人公」の立場で、大型事業を抑えて、暮らし・福祉・営業を優先する区民施策をすすめる。
■現在、蒲原歯科診療所長、東京民主医療機関連合会副会長。

子どもたちに平和と安全な食事を!
百瀬静子さん(墨田4丁目在住)
百瀬さんは、今年の夏、広島で開かれた原水爆禁止世界大会に墨田からの代表団の一員として参加しました。
どんな大会でしたかの質問に、百瀬さんは目を輝かせて「若者のパワーに圧倒されました。参加者の半数が若者たちですから‥。活気ある若者の声が会場にあふれ、私の日常生活もプラス思考になれました。世界大会の参加は初めてでしたが、最終日の全体集会では、880人の東京代表団の一人として壇上に上がり感激しました」と語ってくれました。
百瀬さんは、船橋市で小学校の先生を36年間つとめました。子どもたちと触れ合うなかで、子どもたちを取り巻くさまざまな問題の根底には、食の問題があると強く感じるようになり、添加物の問題や食料自給率を上げる問題など食育の研究にたずさわるようになりました。
 そして、子どもたちが平和な日本で暮らせるには、何かできることはないかと考え、現在は、新婦人墨田支部の野菜の産直の責任者として忙しい毎日を送っています。

プロフィール
1946年(昭和21年)青森県八戸市生まれ、弘前大学卒。
23歳で上京後、千葉県船橋市で小学校の教員に。
現在、新日本婦人の会墨田支部常任委員。

下町の和菓子の伝統を守って60年
高橋秀夫さん(押上1丁目在住)
 高橋さんは、今年で創業60年をむかえる押上の和菓子店「かむろ味」の三代目店主です。店は、昭和20年の10月創業、請地(今の押上)で、肉屋さんからスタートしたそうです。当時の食糧難を背景に、「ふすまのおまんじゅう」を始めたらこれが大ヒット。つづいて「あわ大福」が評判に。和菓子の歴史は古く、その深みを極めるのはなかなかの苦労があったとのこと。今でも和菓子の本を読むなど研究に余念がありません。
 作る楽しみはと聞かれれば、「美味しいと言われる事が一番。これが朝3時に起きて頑張れる秘訣です」と語っておられました。毎週土曜日は500円のお赤飯が350円と特売日です。「向島で4軒になってしまった和菓子屋だけどまだまだ頑張りたい」と意気軒昂です。
 日本共産党との出会いは、鈴木順子区議に生活相談でお世話になったことからはじまります。高橋さんは、かつて町内会の副会長を務め、自民党の議員の「選挙指南」もしたことがあるそうですが、「今では、共産党の応援団です」と胸を張って語ってくれました。

プロフィール
1933年(昭和8年)千葉県印西町生まれ。
押上「かむろ味」で修業、三代目を継ぐ

海軍に志願、シベリアに抑留 軍国主義教育の復活は許せない
塩原元(はじめ)さん(八広1丁目在住)
 「とにかく良く動き、働く人です」とは一緒にいた友人の弁。「年金者組合」や「生活と健康を守る会」の活動、シルバー人材センターの仕事、暇を見つけては荒川にハゼや手長エビ釣りに通う毎日です。
 塩原さんは、本郷菊坂町で生まれ育ちました。17才で海軍に志願し、香港、上海、北朝鮮の羅津と転戦。米軍の空襲で、乗っていた船が沈没し、九死に一生をえた経験も。その後、捕虜とされ3年間シベリアに。「寒さと飢えは今でも忘れられない」と言います。
 戦後は、旋盤工として働き、劣悪な勤務条件を改善させようと仲間と労働組合を作り、委員長に推されたそうです。「この活動を通じて、社会と政治の矛盾に目覚めていきました」と語る塩原さん。「私は、軍国主義教育をなんの疑問もなく受けいれていました。いま、憲法9条を改悪し、教育基本法を変えて、戦前のような教育を復活させようとの動きがあるけど、絶対にくいとめなければいけません」――悲惨な戦争を経験した人の重い一言でした。

プロフィール
○東京市本郷区生まれ
○本郷高等小学校卒
○海軍に志願し、シベリアに抑留される
○旋盤工として働き、労組委員長など歴任
○年金者組合墨田支部執行委員、墨田生活と健康を守る会会計監査

老齢加算の廃止で都知事への審査請求に取り組む
吉田喜美さん(本所4丁目在住)
 この4月から、生活保護の老齢加算が廃止され、母子加算のさらなる削減などで、生活保護を受けている区民に大変な負担が押し寄せています。吉田喜美さんは、生活保護の老齢加算廃止に抗議し、石原都知事に対する審査請求を起す一人として頑張っています。
生活保護の基準切り下げは、保護利用者の生活ばかりでなく、労働者の賃金や年金、課税最低限など国民全体の低下をもたらします。老齢加算の廃止で3年前、満額出ていた夫婦の場合、3万5千円をこえる老齢加算がゼロになるという大打撃です。
生活と健康を守る会では、都知事への審査請求の運動に取り組んで、墨田区でも7名の方が審査請求を決意しています。
吉田喜美さんは、「介護保険料も値上がりして、生活は大変苦しくなったのに、老齢加算の廃止に心底、怒っています。守る会の仲間と力を合わせて審査請求を起していきます」と決意を語っています。

プロフィール
墨田区向島1丁目生まれ、77才
現在・墨田生活と健康を守る会理事

初の土建・女性分会長に推された
高田玲子さん(墨田2丁目在住)
 ご主人が東京土建に加盟されたのがもう40年前。私も加盟して30年のキャリアといわれます。軽量鉄骨の溶接を業とする夫とともに、事務経理を担当する奥さんは「土建組合とは長いお付き合いなんですよ」。東京土建墨田支部で女性の分会長は初めてで、全都でもめずらしいこと。分会長は支部の執行委員も兼ねますが、分会は、厚生、文化教宣、税務、技術などの産業対策、組織など各部をかかえ、418名の大組織です。「何でもみんなに相談しながらやりますから」と笑いながら答えてくれました。
 玲子さんは、向中でのPTA活動や、そのOB会(百花の会)の活動、町会の婦人部長など地域で幅広い活動に参加し、温厚な人柄が多くの人々の信頼を得てこられました。ご決意はと伺ったら、「息子(41歳)が夫の仕事を継いでくれていますが、まだ独身なんです。いい人がいたら是非紹介してください」と屈託なく笑いながら要望されました。

プロフイール
〇青森県三沢市生まれ
〇1963年(昭和38年) 上京・お見合い結婚
〇男子二人も社会人に
〇PTAやOB会の役員を 歴任
〇現在・梅若町会婦人部長〇東京土建墨田支部墨田分 会長に就任。

いまこそ、納税者の権利まもる声をあげて
森田 肇さん(墨田民商副会長)49才
 消費税の課税免税点がこれまでの3000万円から1000万円に引き下げられ、本所税務署は商工会議者を使って新課税業者を掌握するために、あらゆる手立てを使っています。このたび、本所税務署が約500人の納税者名簿を商工会議所に提供していたことが明らかになりました。昨年12月、森田さんのところに、税務署と商工会議所の連名で「消費税申告指導会のお知らせ」が送られてきたのが発端でした。森田さんは、墨田民商の仲間とともに重大な守秘義務違反と税務署に抗議し、謝罪させました。
 森田さんは、墨田民商の若きリーダーの一人です。森田さんのところに最近、申告の相談にみえた70才過ぎの繊維業者の方は、「老齢者控除なくなったのが本当にくやしい」と肩を落として窮状を訴えられ、小泉内閣がすすめる国民いじめの悪政に心からの怒りを感じたといいます。
 森田さんのお父さんは、税務署の取立てに悩んで民商に相談したのを契機に入会、しかし、過労がたたり64才で亡くなりました。森田さんは高校卒業と同時に家業を継ぎました。そして、仕事だけでなく民商の活動にも参加するようになりました。
 森田さんは、「政府は、消費税の税率の大幅アップを見込んで、これの定着を狙ってなりふりかまわぬうごきをみせている。これ以上の増税は中小業者をつぶすことになる。これを食い止めるためにも大きな民商の組織づくりをなんとしてもやりとげたい」と意欲を燃やしています。

プロフィール
1957年(昭和32年)墨田区生まれ。
東駒形で家業の製麺業を継ぐ「駒形軒」の2代目経営者。
横川小、本所中学、本所工業高校卒。墨田民商駒形支部長、東商連青年部長を歴任、8年前から墨田民主商工会副会長。

食の安心・安全は、国内での自給が一番
片山幸弘さん(レストラン「カタヤマ」代表取締役)
 レストラン「カタヤマ」は、白鬚橋東詰め交差点付近にある人気店。昼食時や夕方には、1軒隣の待合室から舗道にまでお客さんが列をなし、有名人が雑誌や新聞をみて訪れます。8年前、“駄敏丁”ステーキ肉(肉を特別にカットする方法)で、特許も取得する研究家で、マスコミも注目し報道しました。「美味しくて、安全なステーキの提供」これが、カタヤマ社長のモットーです。安い秘訣は、パソコンでいつも仕入れ価格を研究し、30年も続けていること。それが多くのお客さんを引きつけているのです。
 米産牛肉のBSE問題は、「当店では使用していなくとも、肉の信頼・風評は怖い。BSEの最初の発生の時も風評被害で、売り上げに大きな影響をうけた」と訴えます。それだけに「政府の無責任ぶりは、肉を扱う者にとっては許せない。アメリカの認識『交通事故程度』」の発言にも怒り心頭です。日本で実施している全頭検査はアメリカも当然やるべき。輸入停止で和牛の仕入れ値が3割も上がり、私たちも影響を受けています。けれど安心、安全でなければなりません。政府がアメリカに安全基準をしっかり守らせる毅然とした外交が必要」と語ります。
 片山さんは、「今の政府のやっていること、アメリカ言いなりに憲法9条まで変える、とんでもないこと。私もいてもたってもいられず『すみだ9条の会』の呼びかけ人になりました。平和でなければ美味しいステーキも食べられません」と。店内のカウンターの上には「いつまでも庶民の味を」の日本共産党前議長、不破哲三さんの色紙が飾ってありました。

プロフィール
◆ 1936年(昭和11年)墨田区生まれ、10人姉弟の4番目で長男。梅若小卒、昭和33年、明治大学卒業後、お店の出前の手伝いから始めて、現在「肉の美味しい下町の洋食や」として評判のレストラン「カタヤマ」(東向島4)の3代目。

デイサービスで元気になっていくお年寄りの姿が、私の生きがい
「デイサービスセンターかねがふち」・施設長 原田晃江さん
 介護保険がスタートして5年、介護の現場で働く人たちに支えられて制度が保たれています。墨田4丁目、鐘ヶ淵通りにある「デイサービスセンターかねがふち」では、8名のスタッフが、入浴介助や食事の提供、レクレーションなどのデイサービスを、通所のお年寄りの最高齢者は、97歳、総勢25名のお年寄りのお世話をしています。
介護保険法が改悪され、この10月からこれまで保険から支払われていた施設入所の居住費や食費が、利用者負担に。デイサービスなどの通所サービスの食費も全額自己負担になりました。「デイサービスかねがふち」では、今回の改悪で、利用者やご家族の負担を最大限に少なくしたいと考え、食材費の運搬費の改善などの工夫を凝らして改悪前の自己負担だった442円を負担差額を158円に抑えて、600円としたそうです。「それでも、利用日数を減らす人もでています。実際に、ご家族の方から『一ヶ月、一万円以内でのサービスでやってくれ』といわれたケースも生まれています」と原田さん。食事代の負担増がわずかであっても、介護にかかわる負担は積もり積もって本人や家族にとっては大きな負担となるのです。
原田さんは、「荒川区や港区では、デイサービスの食費の調理費分を全額、区が負担することになったそうですが、墨田区もぜひ、そうしてほしいと思います」と語ります。
原田さんが、この仕事にかかわるきっかけとなったのは、同居していたおばあちゃんの介護を十分できなかったこと、学生だった自分がお母さんの介護を助けたいと思っていたのに何もできなかった。おばあちゃんにしてあげられなかったことを他の人に少しでもお手伝いができればとの思いからでした。
この11月から施設長になった原田さんは、「お体が不自由な方でも、ここに来ていただいて、毎日楽しくし幸せに過ごせて、見違えるくらいに元気になってゆく方もおられます。そんなお手伝いができることが私のなによりの生きがいです」と目を輝かせて語ってくれました。

プロフィール
1969年足立区生まれ、足立区内の小・中学校、跡見学園女子大学卒、博物館学芸員の資格をもつ。三郷市のデイサービスセンターに勤務、11月から、「デイサービスセンターかねがふち」の施設長に就任。松戸市在住。

「すみだ九条の会」の結成に向け、元気いっぱい
鈴木めぐみさん(東京東部法律事務所・事務局員)
 鈴木めぐみさんは、憲法や法律を勉強し、行政書士として働いてきました。「相談者と直接接して、法律にかかわっていきたい」との思いから、現在の法律事務所に勤務しました。鈴木さんは、「いま憲法9条を取り払って、日本を戦争をする国に変えようとする動きが強まっていることに、とても不安を感じている」ともいいます。
 鈴木さんは、『すみだ九条の会準備会』の事務局として、「準備会が、今年1月から、毎月9日を宣伝の日と決め、錦糸町駅頭などでの宣伝行動に参加」してきました。鈴木さんがいま感じていることは、「憲法9条は世界に誇る日本とアジアの宝だと思います。最近、若い人などで、憲法改悪について、あまり知らない人が多いのに驚かされる」と語ります。「あるとき、NHKの番組を見て、戦争を知らない意見が多い、戦争を美化する議論が少ないないことに、背筋が寒くなる思いがする」といいます。
 今回、『すみだ九条の会』の結成に向けた準備会では、憲法9条を守る1点で広く呼びかけることを決め、1500通をこえる『すみだ九条の会・賛同の呼びかけ文』を発送。さっそく、医師、税理士、町会長さんから、賛同・協力の返事が寄せられています。鈴木さんは、「墨田での九条の会結成で、この力を改憲勢力に示すことができる」と意気込んでいます。

会勢の前進へ全力
墨田民商新会長の吉村正雄さん 59才 東向島在住
 つい一ヶ月前の墨田民商総会で新会長に選出された吉村正雄さん。会員さんからは、「柔和な人柄で、親しみやすい人」との評判が聞かれます。
 吉村さんは、新会長の抱負をズバリ「会勢の前進です」と言い切ります。「今の業者の最大の悩みは、仕事がないということ。“仕事おこし”に力を発揮できる民商にしなければなりません。そのためにも、経営対策に強い民商をつくりあげたい。中小零細業者の中に、民商の会員、商工新聞読者のネットワークを広げたいのです。そして、今年の目標は、50名の純会員増をやりとげたい」と熱っぽく語る吉村さん。
 印刷の仕事にたずさわる吉村さんが、民商活動に参加するきっかけとなったのは、無担保無保証人融資でした。民商活動のなかで印象的な事として、ヤミ金被害に苦しみ、自殺未遂まで追いつめられた会員さんのことで、吉村さんをはじめ民商の親身な援助で、危機を脱して再び民商に復帰したという報せを聞いたとき、本当に嬉しかったと言います。
 吉村さんは、60年前の3月10日の東京大空襲のとき、お母さんのお腹に。お母さんが「買出し」に出かけていて、お父さんと2人の兄弟が犠牲になりました。終戦60年目を迎えた今年、感慨はひとしおとのことです。中小業者の営業と暮らしとともに、平和と民主主義を守る民商活動は、吉村さんにとって今年で37年目を迎えます。会員さんをはじめ、業者の相談に真剣に、真正面から受け止めることを新たな決意としたいと語る吉村さんです。

◆プロフィール
 1945年(昭和20年)墨田区生まれ。都立向島商業高校卒業。21才から印刷業に従事、今年で40年目。去る6月の墨田民主商工会定期総会で新会長に選出される。

あとう和之さんをなんとしても都政へ
山下 典雄さん 77歳 都営横川団地在住
 「くらしと平和を守るためには、どうしても日本共産党を前進させなくては」――毎日、受話器をにぎり、あとうさんの支持を訴える山下さん。対話では、「自民、公明、民主の都議の豪華海外視察は許せない」「民主党は、都政で『寝たきり』手当ての廃止を要求し、臨海開発のムダ遣いに自民党より熱心なんて驚きだ」「公明党は、年金改悪で『100年安心』と言っていたのにひどい・・・」「もう共産党にがんばってもらうしかない」などの期待の声が、たくさん返ってくると言います。
 山下さんは、日中戦争の真っ只中の1928年に満州(当時)大連で生まれました。両親は、戦争が始まると満州に渡り、満州鉄道の職員として3人の子どもを育て、終戦を待つことなく命を落としました。山下さんは、大連で八路軍の日本兵に「この戦争はまちがいだ」「これから日本はたいへんになるが、がんばって生きるのだよ」と言われたことが、いまでも耳に焼きついているそうです。
 日本に引き上げてきてすぐ、「侵略戦争に命がけで反対した」日本共産党を知った山下さん、以来、いっかんして日本共産党を応援してきました。
 山下さんは、ここ数日間で200人と対話。「早く500人を突破させたい」「電話を遊ばせておくのはもっていない」と、今日もあとうさんの支持を訴える声が部屋に響きわたります。

プロフィール
1928年、満州・大連(当時)生まれ。旧制・大連中学卒。横浜労政事務所等に勤務。墨田生活と健康を守る会理事、あらぐさ(日本共産党横川団地内)後援会会長。

医療や介護が安心して受けられる都政の実現を
阿藤知香子さん(24才。墨田区本所4丁目在住)
 知香子さんは、学生時代に山登りや合唱団「ともしび」、全国医学生ゼミナールなどのサークル活動、薬害ヤコブ訴訟や原爆症認定訴訟の運動に参加するなど行動的な女性です。
  知香子さんが、医師をめざすようになったのは、高校生の時に「お父さんのような医者になりたい」と思ったことだと言います。父親は特に進路について何も言いませんでしたが、民主的医療機関で働く医師である父の背中をずっと見てきて子ども心にそう決めていたのかも…と当時を振り返ります。
  知香子さんは、「これから産婦人科医として、医療の現場でがんばっていきたい。いま、産婦人科医や小児科医の不足が深刻で、医師の体制がもっと充実されなければならないことから、あえてこの道を選んだ」といいます。そして、「子どもの出産は、予定日が決まっていても、いつ出産になるか分らない。また、出産は時間がかかるなど産婦人科医の体制の充実は、母子の健康と生命にかかわる待ったなしの問題であるし、新しい生命の誕生の仕事に携わって生きたいから」と目を輝かせます。
 あとうさんが都政に挑戦すると聞いた時に、「率直にいってあまり実感がわかなかったけれど、夫と共に行動するなかで、この活動を知れば知るほど、その大変さ重大さを実感しています」と語る知香子さん。「皆さんの温かいご支援に何としても応える結果を出すために、一生懸命、夫を支えて皆さんと共に頑張っていきたいと思っています。夫には、区民の皆さんのひとり一人の願いや思いをしっかり受け止めて、その実現のために都政で頑張って働いてもらいたいと思いますし、それができる人だと信じています」

プロフィール
◆1981年、東京都板橋区生まれ。板橋区内の公立学校、東京女子医大を卒業。
 今年3月、あとう和之さん(都議予定候補)と結婚、また4月に医師の国家試験に合格し、医師免許を取得。
現在、板橋区の東京民医連・小豆沢病院に勤務。

憲法9条の改悪を許さないために、私たちの芝居がお役にたてば
西沢由郎さん (青年劇場・俳優)
 西沢さんが所属する劇団「青年劇場」は、人道主義・平和主義者であり、日本の良心といわれ、築地小劇場をつくった秋田雨雀・土方与志の志を受け継ぐ劇団です。西沢さんが、19才のときに入った演劇学校の仲間を含め8人で1964年に結成したのが、青年劇場でした。奥さんの小竹伊津子さん(女優)とはこのときからのお付き合いです。
 「働いている多くの人たちに気軽に楽しく芝居に接してもらいたいということだ」と言う西沢さん。ロッキード事件を扱った「多すぎた札束」や、教科書検定問題をえぐった芝居は、大きな関心を集めました。
 そして、「若い人たちにいい芝居、芸術に接してもらいたいという願いから、青年劇場は、学校公演に力を入れてきました。しかし、最近は、学校週5日制だとか、「詰め込み教育」が優先され、子どもたちから芝居や文化が遠ける傾向にあるのが心配だといいます。今回、取り組んだ芝居も今の高校生たちが現実にぶつかっている問題を取り上げたもので、一人でも多くの若い人たちに見てもらいたい」と語ります。
 戦後60周年を迎えた今年、西沢さんが、特に力を入れているのは、平和の問題です。「私は、16才のとき、文京区の小石川で空襲に遭いました。あの惨禍を二度と繰りかえすまいとの思いから、青年劇場の若手・中堅の俳優さんたちに呼びかけ、朗読会「平和へのメッセージ」の活動もつづけているのです」と語ります。
 西沢さんは、「今、憲法9条を変えようという政治家の動きが顕著になり、都政でも民主主義に挑戦的な石原都知事のやり方に憤りを感じます。マスコミも2大政党制をあおり、戦前と同じような状況がつくり出されつつあります。本当にコワイですね」「これを防ぐのは、みんなの力です。私たちの芝居も少しはお役にたてばと、一生懸命やっているんです」と力を込めます。
 西沢さんが、奥さんと一緒に発行している手書きの「二人のしんぶん」は根強いファンが多く、「特に、お料理のコラムは、お休みするとお叱りをうけるんだ」と笑って話されました。

プロフィール
◆ 1928年、文京区小石川生まれ。1964年、「青年劇場」の結成に参加。夫人は、青年劇場の俳優、小竹伊津子さん。墨田区墨田4丁目在住。

「戦争の惨禍を繰り返さない」 この思いひとすじに反核・平和運動に献身
安藤健志さん(墨田平和委員会顧問 72歳)
 1945年3月10日、東京で一度に10万人以上の人が亡くなりました。今年は、戦後60年、各地でさまざまな取り組み、催しが行われています。3月5日から六本木ヒルズで始まった「東京大空襲展」の会場に安藤さんを訪ねました。
安藤さんが、平和運動にたずさわるきっかけとなったのも、東京大空襲でした。当時11歳だった安藤さんの家族が亀戸4丁目で空襲に合い、家族3人が犠牲となりました。終戦となり、平和憲法ができ、あの戦争がどんなものだったかが明らかになったとき、あの戦争に命をかけて反対した政党があったことを知り、選挙権をもった初めての選挙で日本共産党に投票したといいます。
 都税事務所に勤務していた頃、お昼休みを利用した安藤さんの反核署名行動は、いまでも語り草になっています。安藤さんは、1985年から署名行動を開始してから16年間に墨田区内の27町会を歩き、墨田区の「反核署名人口過半数達成」に大きく貢献されました。
 「いま、特徴的なことは、世界の反核・平和運動がかってない高まりをみせているのです。それも国をあげて反核の流れが生れていることです。5月の国連NPT再検討会議にも東京から120人の参加がすでに決まっています。私もニューヨークでの100万人デモに参加するんです。そして、8月の原水禁世界大会を60周年にふさわしく成功させたいですね。被爆者も、東京大空襲体験された方々も70周年には動けなくなる。これが最後と頑張っているんです」――被爆60周年の今年は、安藤さんにとって特別の意味を持つ年だと語ります。

プロフィール
◆ 1933年、葛飾区柴又生まれ。都立隅田川高校卒業。
◆ 元東税支部長、墨田都税事務所を退職後、東京原水協代表理事、核兵器全面禁止署名推進委員長として活躍。

「可愛い孫を、戦場に送らない」の決意を新た、9条守れの活動に全力
千葉田鶴子さん (新婦人墨田支部長)
 千葉さんは、先日、錦糸町駅南口で行われた「憲法9条改悪を許さない」署名行動に参加しました。これは、大江健三郎さんなど著名な作家や学者、文化人などが呼びかけた「9条の会」の墨田区準備会が取り組んだものでした。
 弁護士さんや区内の団体の代表、日本共産党のあとう和之さんらが代わるがわるに
 訴えると通勤途中の人のなかには、くぎ付けになって動かないで話しに聞き入る光景もみられました。
 日本が世界に先がけて、恒久平和を宣言し、「戦争を永久に放棄する」と世界に誓った9条を変えようという動きが、今、急速に強まっていることに黙っていられない思いが、訴える人も、聞き入る人の心にも広がっていることを千葉さんは、強く感じたといいます。
 千葉さんが、代表を務める新婦人の会では、昨年9月から「9条の会」が作ったポスターの掲示と平和署名の活動に取り組んでいます。「憲法9条は世界の宝。ポスターを貼って、9条を変えようという危険な動きのあることを知らせよう」との訴えに多くの会員さんがこたえてくれています。「平和署名を50人集めよう」という「ピースチャレンジャー」活動の輪も広がっています。
 憲法と平和の問題では、1月末、墨田母親連絡会が開いた母親集会で「憲法って何なの?」の朗読や講演「わたしたちのくらしと憲法」(弁護士・平山知子さん)に会場いっぱいの参加者がつめかけ、関心の高さを示しました。
 千葉さんは、孫が生れたとき、「将来、この子を絶対に戦場に送らない。この子に核兵器も戦争もない平和な社会を手渡さなければ」との決意を新たにしたといいます。   
消費税増税反対、30人学級の実現、子育て支援の充実など新婦人の会の取り組みは多彩ですが、「9条守れ・反戦平和」を語る千葉さんの訴えはひときわ熱がこもります。

●プロフィール
 1943年、長崎県生まれ。翌年、家族で上京。都立南葛飾高校・定時制卒業。墨田区役所勤務。41年間、福祉関係の仕事ひと筋に打ち込む。2年前に退職し、現在、新日本婦人の会墨田支部長として活躍。